「夜想」ya-sou

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20年ほど前、私は漸く手に入れた中判カメラにカラーポジを詰めて花の写真を撮っていた。初めは80mmの標準レンズにクローズアップレンズをつけて、次に中間リングやマクロレンズを使用するようになって、私の眼はどんどん花に近づいていった。花びらや蕊の微妙な色彩のグラデーション・とびきり繊細な質感を、レンズを通して発見し、フィルムに写し取ることが楽しくて仕方なかった。

ある時、手持ちのカラーポジを撮り終えても未だ満足できないような気がして、モノクロフィルムに手を出した。色が写らなければ意味がないとは思わなかった。とにかくレンズを通して花を凝視すること、そしてシャッターを押すことができれば、それでよかった。その後、自分でモノクロフィルムを現像し、印画紙にプリントしてみた。そこに写っているのは自分自身であるように感じた。

闇の中から、花の形に変化(へんげ)して現れて来るイメージは、必ずしも美しいものではなく時にはグロテスクですらある。それらは私自身の心の内側にあって、しかも言葉では手の届かない何かを語っているように思われた。私にとってモノクロームで撮影する花の写真は、長い間そういうものだった。

しかし、ここ数年は違っているのかもしれない。いつの頃からか忘れたが、私は庭で育てた草花以外は撮る気がしなくなった。                       

薔薇・芍薬・アマリリス・チューリップ・時計草・アイリス・・・種子や球根、幼苗から育てた花に愛情や癒しも感じているが、それよりむしろ花は私に襟を正しくさせる。その時、レンズを通して対峙している花の相は、色彩という装飾を落としたモノクロームでしか表現することができない。自分の庭で咲いた花を撮影していると、そんな思いが強くなってきた。違いが写真に反映されているかどうかは分らないが。


 夜に想う

「凛々と咲く花は、あるべき心のかたちであると」


© Tamaki Obuchi 2013